【2】京都アニメーションのクォリティとブランド
「涼宮ハルヒの憂鬱」第1話は原作既読者未読者を問わずして光の速さでブッちぎり、
視聴者を3万光年くらい置いてけぼりにするくらいぶっ飛んだモノだった。
原作未読者は思っただろう。「何だこのアニメは…」と。
原作既読者(おいら含め)は「そこから入るのかよ!!」と突っ込んだ方、多いのではないか。
サブタイトルは「朝比奈みくるの冒険 Episode00」。
1話目が尺や演出の都合上でOPがカットされる事は最近のアニメではしばしば見られる*1。
「朝比奈みくるの冒険」はいきなり歌い手が歌い始めからドジった。
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
ハルヒの第1話はいきなりなんの突拍子もなく彼女らSOS団の自主制作映画から始まったのである。
これでもかと言わんばかりに故意的に素人が即席で作り上げた映像を(1話数かけて!)
一番始めに持ってきたのちに、2話目に何事もなくメインのストーリーが始まる。
当然、ネットではこの前代未聞のキラーパスに大いに盛り上がった。
(このあたりの流れは長くなるので割愛します)
この仕込みネタは気づいた方も大勢いらっしゃったろうが、明らかに
ネット住人達をターゲットにしたいわゆる「口コミ誘爆作戦」だったのだろうと予想できる。
『彼を知り、己を知れば百戦危うからず』とでも言うべきなのか。
京アニの中の方々は、自分たちを評価している人々が以前の作品である
「AIR」からの流れで主にはネット層からの人だろうと自覚しているのではないかと
ハルヒの雰囲気からそれがしは感じ取っている。
もちろん京アニのAIR、そしてフルメタも高い作画力、
構成力がその元々の評価の理由なのだが、
京アニはネット内にて通じているそのブランドを最大限利用したのである。
そう、ハルヒ1話目の「やりおった京アニ」。そして、高い作画力を分かり易く見せつけるED。
これを視聴したネットユーザーがネタとして(ブログなどで)口コミで広めてくれるような起爆剤
としてだ*2。