パラオ共和国

親日国をちょっとまとめてみたい。
(わりとマイジャーなので知ってたら知ったかぶりっぽくて申し訳なひ)



パラオ共和国をご存じだろうか?

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/palau/data.html


日本とオーストラリアの中間地点、緯度的には大体フィリピン当たりの小さな島。
1994年にアメリカから独立したまだ若い国だ。




パラオは1914年から30年間日本の統治下にあった。
大東亜戦争では激戦がこの地でも繰り広げられたにも関わらず、非常に今なお友好的な国である。

元々パラオの言葉は語彙が少なかったそうで、大体2割が日本語そのまま使われていたり、8割くらいのパラオの人々が姓や名に日本式にしているのだそうだ。


上のリンクをたどるとまず目に付くのは国旗だと思う。そう、日本に似ている。
これは1994年の独立の際に国民から公募した結果、決定された。
はっきりとしたものではないが、パラオの国旗は日の丸ではなく満月であり、日本に対して敬意を表すため、あえて真ん中にしなかったそうだ。大統領から日本の保護領にしてくれないか、と話があり丁寧に断ったという話すらある。


ただ、残念ながら独立1周年式典の際に日本は祝電の1つも寄こさなかったそうだ(当時は村山総理)。当時の大統領のクニオ・ナカムラ大統領はひどく落胆したらしい。





なんつーか…


同じ時代の占領統治なのに何故こんなに韓国とか中国と言ってることが違うのでしょうかね?統治してた人によると考えるより、日本人の気質、当時の共通方針と考えた方が自然ですし…と考えると、方針が侵略支配でそれに逆らってパラオを統治していた日本人が規律正しく治めてたと考えるより規律正しい方針だったってほうが不自然じゃないと思うのは私だけですか?



最後にもう一つパラオに関して外せないのがKBブリッジの件。
画像もあるのでリンクにします。

「心をつなぐKBブリッジ」
http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/003.html
↑このページの下の方。


何だかね、何も言わなくても何がホントかってのがみたいなものが事実として出てる。
皮肉にもそれがパラオだったのは運命的ですね。

台湾もですけどやっぱり行ってみたい、こういう国には。



あとこういう話もあったり(コピペ)。

パート2・365 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/20 12:22 id:m5CNfFbG

日本人誇りの日

  2002年1月11日は日本人にとって忘れられない日になった。
所は南洋の国パラオ共和国、時、午前10時。教会合唱隊が大声で行進曲調のパラオ共和国の国歌を合唱し始めると、
夜の大海原に浮かぶ月をあしらった青地に黄色い○印の国旗が掲揚された。
続いて荘厳な「君が代」のメロディーが流れはじめると観客の中に静かな動揺がおこった。
伴奏だけで歌が無いからだ。すると突然隣の席の妻眞理子が声高らかに歌いだした。
「君がーよーおーはー」。思わず私も従った。すると私たちの後方にいた、
もう八十を超えたリケリケさんが「千代にーいー八千代にさざれー、、、」と歌いだした。
リケリケさんは日本軍へ志願して米軍と戦った「斬込隊」の生き残りだ。背中に軍刀
背負い米軍機に見つからないように夜の海を島伝いに激戦地ぺリリュー島へたどり着き
米軍に斬り込みをかけようとしたのであった。正に日本のために命を張ってくれたパラオ人特攻隊員である。
私が彼の声の方へ振り向いて感謝の会釈をすると、直立不動のまま「、、、苔のむーーすーーまーーーで」
と声を一段と高めた。演奏は終わり、私たちの周りだけであったが君が代の斉唱が終わると、
周りから大きな拍手と歓声か起こった。大空に輝く太陽の「日の丸」と、深夜の大海原に浮かぶお月様の
パラオの国旗がへんぽんとたなびく中でトミー・レメンゲソウ、パラオ共和国大統領の祝辞が始まった。

ちなみに親善大使は川島なお美さんで「ナオミ・ビーチ」ってのがパラオにはあるらしい。



参考ページ

日出づる処のニゥス

http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/index.html