3つの要素。

一月位前の話。


後輩と休憩がてら(いや、こちらは仕事をしてたんだが)、のほほんとまったり完パケ*1
話数を見ていた(と言うか文芸さんが台詞チェックのため見ていた)時、
こちらも休憩がてらにと言う感じである演出さんが休憩所にやってきた。


ちょうど(確か)その演出さんの絵コンテが上がったばかりで読みましたよーとか
後輩と演出さんが話していたのを作業しながら聞き耳を立ててる感じになっていました。
話はコンテの描き方というか、どういうことを心がけて描いたらいいよ、と言う話に変わっていきます。



『色々なものを見て、聞いて、疑問を持って、技術とか処理とかイメージとか
「あ、これは使えるな」と思ったものを取っておいて、いざというときに拝借するとか
大切だよ。そういう意味で盗む、パクるのはどんどんすべきだし、すごい大事だよー』


『…と言うか、そういうアイデアとかを拝借して自分の中に入れた時点で、
それはもう自分のもので、パクりじゃないんだよね。…そう、リスペクト。それに近い
(リスペクトという言葉をココであっしが発言した)』
↑簡潔に書くとこんな感じだったと思う(違ったらごめんなさい)




ここからが非常に勉強になった。



『ただ、コンテを描くときというか、モノを創るときには大体3つの要素ってのがあるの。
「切り口」、「デディール」、そして「思想」。さっきの言った
演出とかアングルとかそういったものはデティールの話。
「思想」とはその話とかコンテとかの中にあるとかどうしたいとか、何を伝えたいかとか。
そしてそれをどんな「切り口」、突破口で見せていくか。


φ(`д´)カキカキ


『デティールはどんどん昔からあるものとか感動したものから見つけてパクってしまえばよろしい。
けれど、切り口と思想は絶対にパクってはダメ。…と言うかパクれない。
そこごとパクってしまった作品は大抵みんなに「あれのパクリだー」とばれてしまうのね』




まさに目から鱗、である。


今まで上手く説明出来なかったけど、色んなモノを見ていて
「あー!!これ丸々あれをパクってるじゃん」と憤慨するモノ(いわゆるパクリ)、
「お?ここでココのパクリときたか」と思わず(・∀・)ニヤニヤしてしまうモノ(リスペクト)の差は
まさにそこなんだな、と。
小説だったりシナリオだったり絵だったり歌だったり総てに当てはまるよなぁ。


オリジナルオリジナルとこだわる人たちが潰れていくのが何となく分かってしまう。
そのオリジナリティも色んな所から集まってきたデティール達の独特の集合体ってことですな。


…ってそれって思いっきり自分という個人だよな。






まぁ結局、行き着くところアホみたいに全然修行が足りないって事だ。


上京して思ったことは本当に自分は無知だと言うこと。
それは今まで殻の中に閉じこもっていたのか、田舎と都会の情報量があまりにも違うのか。
(どっちもあったと思う)


監督とか作画さんとか打ち合わせとかで何かを表現するときとか


『ほら、●○●○(作品名)の"あれ"みたいな』


…分かるもののある。ただ、大半が付いていけない。


年齢の差があるから観てるものの量だって差はあるだろっては言い訳にもならない。
逆に今の歳で知ってたら強いわけだから。
そういうのがある度(つーかほぼ毎日だ)、今まで何考えてきたんだよ俺…とどよーんとなってしまう。


自分らしさとかオリジナルとか語る以前に、自分を構成してるカケラが少なすぎる。


一朝一夕にはいかんが、そこらへんはもがきながら逝くしかないのか…散々凹みまくって。
たまーに夢を持った地元の皆さんに「上京したほうがいいかもよ」と言ってるのはそういうことです。
地元にいるメリットも知ってますが、やっぱ情報量が違うという意味で。






ちなみに最後に演出さんその話しが終わった後にぼそり。


『…というのは宮崎(駿)さんの弁なんだけどね』



    ( Д )  ゚  ゚


…何というか納得。

*1:完成した