「席を譲らなかった若者」と日本人の美徳(らくだのひとりごと)

ものすごく考えさせられることだと思った。

若い衆が言うことは感情的かも知れないが非常に正論だと思う。これだけのシチュエーションで判断するのも難しいが、こんな嫌みを言われたら「どうぞ」とも言いたくなくなる。

らくださんはここから世代の違いや今昔社会の変化をお話ししているのでちょっと違う方向に。



先ほど「若者の意見は正論だと思う」と言ったわけだが、どっちかというと自分もがっつり座っちゃってる方というのもあって、やはりそれを言うのもなんとなく「うしろめたさ」を感じる。多分これはどこかに無意識的な「お年寄りは大切に」っていう考えを持ってるからではないのかな。いや、もちろん俺は持ってるぞとか自慢してるのでも日本の計画的な洗脳教育(何)とかを言うわけでもなく、それって「美徳」なんだよなということ。



何のメリットもないのに年輩の方や身体にリスクを持っている方に席を譲る。非常に儒教的というか、これはアクマで親切心や敬愛の念があって行われることだからこそ美しい。ふっと目の前にお年寄りがいて、さっと席を譲る。逆にお年寄りも譲ってくれたのだから相手の顔を立てるという意味でも礼をして座る。これを何の気無しに行えるのがやるほう、やられるほう、そして見ている方も気持ちがいいのだ。どちらか、またはお互いが「当たり前」だと思っててもいけないし(それでも「当たり前だよ」と口に出したりするが)、かといって「儀式」では決してない。それを表しているのが日本の「シルバーシート」。



シルバーシートなんて日本にしかないんだろうな、と思ってたら欧米にもあるらしい。微妙にそう思ってた自分を恥ずかしく思ったが、ぐぐってみて出てきた記事にはこう書いてあった。


ソース元(http://homepage2.nifty.com/1b-town/essay/essay20.htm#silverseat

 ある人はイギリスで、すいている車内だからどこでも良いだろうとシルバーシートに座ったら、近くにいたご婦人に、傘で膝を叩かれたという。必要としている人が座る場所なのだから、問題のない者は決して座ってはいけないと怒られたのだ。

非常におもしろい。日本人ならおそらくシルバーシートでも座るだろうと思う。
イギリスの概念としては(これだけでははっきりとは言えないが)シルバーシートは(お年寄りとかハンデを持っているという)条件を満たさないと座ってはいけない場所であり、「お年寄りのための席だから立ってるお年寄りや不自由な人がいたら譲ってあげてね」という控えめな日本のそれとは全然違うのでは。やはり、そう考えると上の考え方は「日本人の美徳」と考えていいのだろうか。



最初の若者達の話に戻るが、逆を言えば社会が今と昔変わっても、そういった「美徳」は変わっていないということか。この若者達にそんな美徳感がないとは自分は思えない。先にねだった老人を「そんなこというもんじゃねーだろうが」と叱咤したともとれるのだから。このらくださんの記事のコメントがものすごい賛否両論になっているのもそういうことで、みんなの中に同じような「美徳」という価値観があるからなんだろうと思った。

まとめることができなかったぽいけど、管理人自身はそんな日本人気質が大好きである。