第0話 なれそめ1/2

石本晃樹は焦っていた。

昨日まで全く意識していなかったことなのにその件について考えるだけで既に泣きそうになっていた。


今考えるとふと久しぶりに町に出てぶらついてみようという気になったのもほぼ間違いなく昨日「あんな事」があった「見栄」だったのだろう。…でなければこんな街に出なくても近所で欲しいものはあらかた入手済みというこのタイミングの悪さで金かけてまで来ようとはまず思わない。家で寝ていたほうが遙かに有意義である。そんなもう、何が何だかな心境で晃樹の頭の中で計算される「街−地元の町=」の計算式。

「…そうだよ、映画しかねーじゃねーか」

もう一つの解として「漫喫」というものもあったが、いくら何でも寒すぎる。…確か某有名アクション俳優主演の映画をやっていたはずだ。それでも観ておとなしく帰れば、まだ今日の日記に「面白かった」とどこか書ける箇所があるかも知れない。…もっとも日記をつけてはいないのだが。そう思って映画館に行ってアクション映画を観る…



はずだった。



…今、スクリーンでは5年越しの叶わぬと思われた恋を多くの難関を乗り越え―今ついに二人がベッドで結ばれようと倒れ込むシーンであった。…館内からはすすり泣くすら聞こえる。





 …どう見てもこの主人公らしき優男がクンフーを扱うとは思えない。…ていうか獲物はサムライではなかったのか?日本刀の「に」の字も出てくる気配がない。あやしいと気づいたのは開演30分経ってからのヒロインに親の借金のカタに豚の様な成金の親父が今まさに襲いかかろうとした時である。…それでも晃樹は優男がいいタイミングで出てきて日本刀持ったこのデブと戦う可能性を信じた。だが、ここでもしそうなってしまったらアクションと言うよりむしろ任侠モノではないか。






やべぇ、劇場番号間違えた。





こ、これは今大人気の昼メロの劇場版ではないか。視聴対象の奥様だけではなく若い男女にも泣けるともっぱら噂のやつだ。よりにもよって間違えたのがこれか。
…と言ってもクライマックスなのに立つのはどうか。微妙な晃樹のプライドは席を立つことを拒否する。もう少しではないか、と。…そうだな、あと15分も無かろう。大きく彼は深呼吸をして2人の情事を最後まで見届けようと観念した。…そこで気づいてしまったのである。


暗闇越しに観た劇場にはほぼカップルばかりと言うことを。



ワショーイ…


クライマックスを観つつ(後ろ姿だけ見ても)うっとりと手をつないで―距離を寄せ合っている事を。



ワショーイ…


中にはスクリーンのキスシーンに合わせてお互いの顔のシルエットがだんだんと密着…



ワショーイ…




晃樹は頭を抱えながら昨日の「あんなこと」を思い出さざるを得なかった。





話は先日の晃樹の家での食事の時間に遡る。


「時に晃樹よ」

3人で囲うちゃぶ台に(今時!)そっと箸を置き、そして手を合わせた後に晃樹の父―陽介は切り出した。

「お前いくつになった」

「…親父、一人息子の歳もろくに覚えてねぇのかよ…つか、誕生日先週だったろ!あれで17!」

「うむ、知っておる」

「あのなぁ、知ってるんだったらいちいち聞くなよ!!」

こういう回りくどく言い出す時、この親父の話は長くなるのを長年のつき合いから知っている晃樹は、逃げるに限ると言わんばかりにがたっと立ち上がろうとして

「その歳であれか、女は未経験か」

…思いっきりちゃぶ台に頭から突っ込んだ。

「あらあら…我が家に1台しかないちゃぶ台なのに壊しちゃダメですよ〜?」

母親である明美の間の抜けた声。…息子よりちゃぶ台かよ。

「なっ…何の話だっ!?親父っ!」

「何って…せっ」

「わかってる!!それは分かってるから言うなぁ!!」

「あらあら、跳ね起きたり突っ伏したり…晃ちゃんも大変ねぇ」

…説明不要、こんな感じで晃樹は17年間、こんな家庭で育ってきたのである。

「まったく…ワシに似て顔は悪くないのに、その性格は誰に似たんだか…それでは結婚、否!彼女どころか女友達もおるまい」

「ま、待て…親父、17だぞ。とりあえず今のところ俺の扱いは『未成年』だ。まだ…」

「分かっておらぬな、晃樹よ。『まだ』と思っていたヤツが『そろそろ』と思い出して、はいそうですかと女をぱっと作れると思うか!!いいや作れまい!!

「ぐっ…た、確かに」

「ましてや晃樹!お前は他人よりひとつ大事な属性を持っていないのだぞ!!」

「ぞ、属性だと?」

それはこれまでの無駄に熱すぎる親父の講義で初めて聞く言葉であった。

「…この属性がないのは、ワシの責任でもある。だからワシもお主が心配でならんのだよ」

「お、教えてくれ!親父!その属性とは何なんだ!?」

「ならば教えてやろう!!それはな!!」

陽介は内緒だぞと言わんばかりに晃樹の耳に口を寄せてきた。


「…『幼なじみ』だよ(ワショーイ…」


「…なっ(ガーン)!!」

「あらあら」

「思えばワシの放浪癖にお前達は付き合って色んな所へ引っ越しをさせてしまった…確かにお前はそれにより他人より何かを得ているのかも知れない、だが!!晃樹よ、長期定住という経験がないお前は長年連れ添える『幼なじみ』属性を失っておるのだよ!!分かるか、この大きさが。ワシと母さんみたいなフラグが立つことはお前にはありえんのだ!」

「そ、そうだったのか…」

恋愛に関しては疎い晃樹でもその大きさは分かった。つまりは―寝坊しても家まで上がり込んで身体を揺すってくれたり、思春期に幼なじみというのが疎く感じられて微妙な関係になったりというイベントが起こらないのである。…十字路で女の子を待ち伏せするしかないのか?…晃樹は自分がそこまで追いつめられていることを初めて悟った。

「ん〜確かにお母さんと陽ちゃんは家が隣同士で高校までずっと一緒だったわー、確かに晃ちゃんにはそう言うこと経験するのはもう無理よねー」

「うむ、母さんの言うとおりだ」

「はううう…」

「うん、いわゆるし○かちゃんとの○太君の関係よね」

「そう、母さんの言うとおり。だからなって…母さん?○び太君て何の話?」

「…え〜と、同情婚?




がらがら、と音を立てて何かが崩れていく…晃樹は初めてその音を聞いたような気がした。見るとさっきまで父だったものがそこに突っ伏している。…どうも、晃樹と同じく結婚20周年衝撃的告白だったらしい。

「…かあさん」

「あらあら?何かしら?陽ちゃん」

「わしらって…」

「愛してるわ、もちろん。あなたもでしょ?」

そんなことはお構いなしと洗い物に席を立とうとするマイマザー明美、あんた最強だよ。





「話がそれてしまったがな、晃樹よ。結局言いたかったのは若いからと言ってこれからだと思っていてはいかん。常にチャンスを見逃すなって事だ。まだ、なんて言っていたらそれすらも見逃してしまうぞ」

30分経って(介抱して)話をそう付け加えた陽介には、威厳とか勢いとか何だかその辺りが80%位失われていた…





 親父に言ったことはないのだが、晃樹は全く今までもててないわけではなかった。何度か告白を受けているし、バレンタインでもなにげに本命を貰っていたりする。ただ、何となくピンと来なかったため断ったり、チョコに関しては義理と手作りの区別が付いてなかったのである。この手の男は自分から何か動かなければいつまで経っても先に進めないタイプなのだ。…ともかく「あんな事」があったわけでいつも以上にナイーブになっていた晃樹には映画館での出来事はかなーりの大打撃であったのだ。映画館を出て、当初予定していた漫喫も行く気なぞ失せ、そのままふらふらと家路についた。








(眠い…)

気にしすぎて結局一睡も出来なかった晃樹が学校に来てすることは当然机に突っ伏すことだった。幸いに学期末のテストも結果返却も終わっているので授業は無意味に近い。明後日からは待望の夏休みである。…まぁ他の生徒にしてみれば今日が踏ん張りどころというか一番めんどくさい日ではあるのだが、晃樹にとっては絶好の睡眠タイムであった(ちなみに学校休むというと母のグラビトンハンマーが飛んでくるので晃樹の選択肢にはない)。


「当方睡眠中」


自ら進んでそれを自分の背中に貼り、周りをけん制する。眠気によってまともな思考が出来ないため、夜ほど気にしなくなってはいたが…それでもまだ片隅にこびりついている陽介の言葉。


彼女はおろか女友達もおるまい、か…


確かに図星だ。性格も相まって積極的に作ろうともしてなかった。しかし、思った以上に晃樹自身は彼女とか女友達とかそういったものを無意識に、そして予想以上に欲していたらしい。だからといってすぐ出来るわけがない(これも親父の弁だ)、自分の気になる相手もいないのにそれでも…と言うジレンマ。




(俺は…どうしたら…)






ぺりぺり、と音がして背中から何かがはがれていく感触がした。

突っ伏していた顔を右に向けゆっくりと半分くらい目を開ける。

「あ、起きたかな…おーい、もう夕方だぞー」

…誰かの声がする。気配が自分の真後ろから左へ…自分の前の席に動いていく。そしてドカッと音がした。…前の席に座ったらしい。それに吊られるようにむっくりと起きあがって前を向くと…

「だああああ!」

…少女の顔があったことに驚き、晃樹は椅子から転げ落ちた。

「…そんなに驚かなくてもいいじゃん〜、2時間位同じ格好でキミのこと見てたのに」

「へ…2時間って今…」

気が付くと空は真っ赤に燃えている。隣の山からこの時間には似つかわしくないアブラゼミの鳴き声がガンガンと聞こえて来たと同時に晃樹の頭はゆっくりと覚醒してきた。さっきまで感じてなかった暑さがじんわりと身体に広がってくる。まず夕焼けに染まった教室をゆっくりと見渡し、壁にかかっている時計に目をとめる。

「もう6時かよ…」

「ずっと石本クン寝てたもんねぇ。あたしが覚えてる範囲で、大体昼からだから…6時間!」

「…そのくらいだな、昨日訳ありで一睡もしてなかったんだ」

「あら〜、そりゃ今夜も眠れないんじゃない?こんなに寝ちゃったら」

「…かもな」

「凄かったよ、何しても起きないの。つついたり叩いたり。あたしなんか耳元でせっかく『お・き・て♪』って囁いてあげたのにさ〜」

「な、なっ!!?」

慌てて立ち上がって耳を押さえて慌てる晃樹。

「嘘だよ〜、そんなまた〜真っ赤になって〜」

のけぞって笑う彼女…ようやくそこで晃樹は自分と普通に話していた少女を認識していなかったことを思い出した。倒れていた椅子を元に戻し座り直す。



「…中岡 比奈乃」

「ん〜?」

晃樹がつぶやくと、彼女…比奈乃は笑うのを止めて晃樹を見た。

「前に話したことあるよな、多分」

「あ、覚えててくれたんだ。あの時はど〜も」

ぺこりと椅子の背もたれに手をかけたまま頭を下げてもたれた状態のままにっと笑顔を見せた。確かに彼女とは他の女子よりとあるきっかけが元で話をしたことがある。まぁそれは晃樹側の話で、この娘にとっては話したことのある男子の一人、なんだろう。

「ずっと誰もいないのに教室いたのかよ」

「うん、ずっと見てた」

「…暇人だな、誰か待ってたのか?」

「え…う、うん。ほら、うちのクラスに優子っているじゃない、秋岡優子、あの娘の部活待ってるんだ、ほらあのときの。」

「ああ、一緒にいたヤツか。そっか…わりぃ、暇人とか言った」

「あ〜、気にしないで、ヒマなのは変わらないからさ…ま、お互い様だよね」

またそこでにこっと笑う。嫌みとかその辺りと無縁な屈託ない笑顔。それにずっと晃樹は違和感を感じていた。
「…中岡さ、お前何か髪型とか変えた?」

「え?随分前だけどなー…石本君の『変える前』ってどうせあの時だから去年とかじゃないの?」

「…そう言われるとそうなんだが。いや―外見じゃなくって何だかこう…」


可愛い。


その言葉はさすがに晃樹には言えなかった。…しかし心の底からそれが相応しいと思ってしまった。それから晃樹には彼女が何を言ってるのか、何の会話をしているのか全く理解できなくなって。


彼女―中岡 比奈乃が身体を使って何かを表現しようとしてる。なにがそんなに楽しいのか何も言っていない俺に向かってものすごく楽しそうな笑顔で話しかけている。






この気持ちは。


これは。



ああ、そうか。



これだ。







ようやく頭の中が整理されてきて彼女の声が―頭の中に戻ってくる。
けれど、先ほどの彼女の嬉しそうな表情は無く、少し沈んだ声だった。

「…ごめん。何だかあたしだけはしゃいじゃってたみたい…あはは、そろそろ行かなきゃ」

「そうか…」

「うん、ごめんね邪魔しちゃって。また話そう」

すっと立ち上がった比奈乃は教室の奥の―自分の席に置いていた鞄を取りに一旦晃樹をすり抜けた。

(また、か。そうだな、まただ)


どうしたらいいか分からない自分に心の中で自嘲する。

「また」

「うん!」

中岡 比奈乃はまた笑顔でそう言ってくれる。教室を出ようとしてる彼女に手でも振ろうとした。






(常にチャンスを見逃すなって事だ。まだ、なんて言っていたらそれすらも見逃してしまうぞ)




はっとした。


俺は何てバカなんだ。危うくチャンスを見逃すところだった。そう、これはチャンスではないか。昨日の屈辱を忘れたか。そう、気づいたのなら伝えればいい。今の自分の気持ちを、そうだろ?親父。

だが、それとは裏腹に彼女は教室の外に出ようとしているところだ。まずは引き留めなければいかん。…どうやって?ド素人な俺には思いつきもしない。

「な、中岡…」


かろうじて晃樹の口から出た言葉は名字だった。けれどどこかぽけーとしている彼女には聞こえていない。ああああああ…どうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすれば??



「なっ中岡 比奈乃っー!!」




気づくと晃樹は教室から飛び出し、階段を下りようとしていた比奈乃に向かって彼女のフルネームを叫んでいた。…さすがにびっくりした感じで二の句も告げれないまま晃樹を向いてる彼女。




すでに叫んでしまって後に引けない晃樹は既に何かを悟りかけていた。
もう、あれだ、どうにでもなれ。





「好きだぁぁぁぁ!!!!」


















後に彼は語った。

「叫んだ瞬間は『我が人生に一片の悔いなし』。周りの時間が止まった瞬間は言い訳の方法。彼女が腹を抱えて大笑いを始めた時はどうやって自害しようかって考えてた」




まぁ、この後二人は付き合うことになっていくわけだけど、それはまた別の話。