ストーリーに見る時間軸の在り方。


タイムトラベルものというジャンルはSFに置いて既に使い古されたというか、王道というか、未来行ったり過去行ったりとかしちゃったりして、読んでる側もそれが分かった瞬間にトラベルものきたー!って感じになるわけで(何のこっちゃ)。…それでも不思議なことに「ああ、またかよ」とぽいっと投げ捨てる人間はあまり見たことがない。捨てる人間は大抵読んで捨てる。もちろんそれは時間ものだけと限らないのだが、RPGとか中世ものがダメな人はいるが時間ものを毛嫌いしたりする人はわりとMonの周りは少ない。むしろ食いついてくる方が多いのである。まぁなぜ、時間ものはそこまでとりあえず惹き付けられるのか。まぁ事例を出しながら検証らしいことをやってみようかと。





まず、始めに説明すると、ここで言う時間ものとは

話の中のキャラクターが何らかのイベントにていわゆる同一世界上の未来または過去に飛ばされ、そこにおいてストーリーを展開する


…と言うことにさせてもらう。概ねの人がこのジャンルに触れた経験があると思われる。



では時間もののどこが楽しいのだろうか?…これまた分かってくださると思うが


因果性であることは言うまでもない。



つまり過去に行って本来「いるはずのない」人間が過去と関わってしまった、どうなってしまうのか?
未来に行って自分たちの結末を見てしまった。どうすれば変えることが出来るのだろう?
前者はいわゆるタイムパラドックスというやつで、そこに「本来いるはずのない」人間(とか)が関わってしまうことで自分たちがいたはずの世界と違う事象が起こってしまうという矛盾状態に陥るというもの。対して後者は未来の事象のため現代からみればパラドックスは起こっていないことになるが、結果をふまえて先の未来の運命をぶっつぶしてしまおうというものだ(大体が主人公達にとって不都合な未来なので)。大抵のタイムトラベルものは何らかのアクシデントとかで「現在」から違う場所に飛ばされてしまうことから始まり、本来は「元の世界に戻る」というのが目的であり、パラドックス云々は付加要素なのだが、話によってはそれは目的以上の付加要素になったりして、落ちは非常に読みにくい。ジャンル自体は古くても未だ廃れない理由はそこなのかもしれない。

…てあたりで続く。(後で書きますわ)